始まり

 24歳の誕生日を目前に控えた木曜日.やっと秋っぽくなってきた.いよいよ明日だ.
 同級のほとんどはもう働き始めているが,まだまだ親の脛をかじり続けてることを恥らうよりは,むしろ余分に得た自由な時間をいかに有意義に使おうか,を考えることにしている.しかしだからといって,今日という一日は有意義に使えたていかどうか.それをはつらつと言い切れるような日々の痛快さはない.
 人生というやつがどんなものであるか,まだまだ捕らえきれていない.地味な歩みの積み重ねが,幸せを育むのは素敵だけど,道筋はそれだけだろうか.派手な環境に身を置いていれば,自分の中の鬱屈したところ,粘着的で自己嫌悪,自己愛の双方の的になる部分は薄れていくのか.
 こういったややこしいことを一人好き勝手に考えるのは,骨が折れるがまったくもって得はない.たまたまもって生まれた暇な時間をこんな無意味な感情の発散に費やすより,僕はもっと生産的に使いたい.人間は考える〜だってどこかの偉い人は言ってたけど,何も考えない,という選択肢も僕は持っていたいな,と思う.音楽に浸るとき,絵を見るとき,他の様々な行為においても,大事なことは考えることでなく,視覚や聴覚や感覚に集中して,最大限に感じるということが適切なときがある.
 何かを作り出すときもそれと同じで,感覚を研ぎ澄ませ,ごちゃごちゃした考えをなくした瞬間が最強の瞬間である.
 私はこの日記を書き記し連ねていくにあたってそういった姿勢を大事にしていきたい.

 では今日という日をいくつかの言葉で記してみよう.
 昨日は徹夜明けそのままに学校に行った.その疲れもあってか今朝はいつもより遅い10時過ぎまで熟睡していた.(最近は九時前には目が覚めていた.)学校にはいかず家周辺でことを済ませたこともあり,今日はゆったりと優雅に過ごした時間が多かった.ただ,読みたい本もなかったので,比較的時間は持て余し気味であった.
 ギターをゆっくり弾きながら唄をゆっくり考える時間を取れたのは良かった.自分の唄の位置づけは未だになんとも言えず,大したもんではないけどね,程度に捕らえているが,自分の気持ちいいと思うメロディや言葉を捜しているのは楽しく,自己満足の中で時間をマイペースに使いながら,色んなことを考えたり出来る.(こういった時間がさっき言ったやつなんだけど)
 ROVOの'condor'ってのを聴いている.残念ながらまだまだ把握し切れていないが,とても壮大な感じ.やっぱりこんな風に音楽と向き合っていけるのって素敵.何だって楽しまなきゃ.前向きな日々がバラの色に変わる.でわ,また明日も何か書きます.