亀の這い蹲るようにして,社会はその腹を隠して進む.まるで当たり前のことは当然であって,疑う余地など少しも在りはしないかのように.けれど歴史を振り返れば,そういった当たり前のように見えたものがひっくり返った瞬間てのは,いくつもあるわけです.ずっとうまくいっていたものが,少しづつおかしくなってきて,時代の変化の為に,整合性が取れなくなってくる.社会ってのは本当は数々の矛盾を含むものであるから,一定の形に収まったように見えていたものも,そういった風におかしくなってくるのは,不思議なことではない.その時代に必要な形は,その時代の住人が創り出すべき答えだ.
各自が色んなことを考えて,それを表現していけばいい.おそらく現代は,まさにそういった瞬間にあるようです.ほつれてしまった糸くずをほぐしていって,豊かなボリュームを湛えた綿玉に戻してやる.
ボブ・ディランの’ノーディレクションホーム’を見ているとそのような,自分の行為の意義について考えさせられました.世の中で必要とされる一部になる.なんて大切なことだろうって思う.
自らを包み込み,その時は世界の全てのように見えて,後から振り返れば本当に些細で呆れてしまうような,一時の個人的感情とも上手に向き合って,目的意識をしっかり持って毎日を過ごして行きたいと考えます.